No.80 国学(本居宣長、平田篤胤)が神道にもたらしたもの
江戸時代の国学は、仏教や儒教が入る前の日本の心を古典から探ろうとした。本居宣長は古事記を読み解き、平田篤胤は死後の魂の行方を説いた。平田派の考えは幕末の地方の豪農や神職に広まった。
本文と出典
国学(こくがく)は、江戸時代の中ごろから広まった学問です。
仏教や儒教が伝わる前の、日本古来の心や道(古道)を、『古事記』や『万葉集』などの古典から明らかにしようとしました。
荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤の四人は「国学の四大人」と呼ばれます。
【本居宣長(1730〜1801年)】
伊勢松阪の人で、賀茂真淵に学びました。
30年以上をかけて『古事記』を読み解き、寛政10年(1798年)に『古事記伝』を書き上げました。
中国から来た考え方(漢意、からごころ)を退け、人が生まれながらに持つ素直な心(真心)を大切にすべきだと説きました。
【平田篤胤(1776〜1843年)】
宣長が亡くなった後にその門人となった人で、宣長に直接会ったことはありません。
宣長の学問を受け継ぎつつ、外来の考えを除いた神道(復古神道)を説きました。
特に、人は死んだあとどこへ行くのかという魂の行方(幽冥)を論じたことが大きな特徴で、『霊能真柱(たまのみはしら)』などを著しました。
【幕末から明治へ】
平田派の考えは、幕末に地方の豪農や神職の間に広まり、天皇を中心とする国のあり方を重んじる考えと結びつきました。
明治の初め、篤胤の養子の平田鉄胤ら国学者は新政府の神祇の役所に加わりました。
神仏分離などの政策には、亀井茲監、福羽美静ら津和野藩の国学者(大国隆正の流れ)も大きな役割を果たしました。
【参考にした資料】
『神道と神社の秘密』(歴史研究会)、『神社本庁とは何か』(小川寛大)、『神社の謎』(合田道人)
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