ザ・神社THE JINJA / 全国神社アーカイブ

空白で区切ると、すべてを含むものだけが出ます(例:八幡 京都府・天照・一宮)。

歴史

2026年10月6日
戦時中の神社と、海外に建てられた神社
戦時中、神社は出征兵士の武運を祈る場になった。台湾や朝鮮など日本が治めた地域には、国が主導して神社が建てられた。ハワイや南米には移民が建てた神社もあり、今も残っている。
2026年10月6日
国学(本居宣長、平田篤胤)が神道にもたらしたもの
江戸時代の国学は、仏教や儒教が入る前の日本の心を古典から探ろうとした。本居宣長は古事記を読み解き、平田篤胤は死後の魂の行方を説いた。平田派の考えは幕末の地方の豪農や神職に広まった。
2026年10月6日
江戸時代の伊勢参り、おかげ参り
江戸時代、人々は伊勢講を作ってお金を積み立て、代表が伊勢に参った。数十年に一度、数百万人が一気に伊勢へ押し寄せる「おかげ参り」も起きた。
2026年10月6日
武士と神社(源氏と八幡、徳川と東照宮)
源氏は八幡神を氏神とし、鎌倉の鶴岡八幡宮を中心に置いた。徳川家康は亡くなったあと東照大権現としてまつられ、東照宮は全国に広がった。
2026年10月6日
吉田神道(唯一神道)とは何か
室町時代の後期、京都の吉田神社の吉田兼倶が始めた神道の説。神道を根本とし、仏教や儒教より上に置いた。江戸時代には吉田家が全国の神職に許状を出し、大きな力を持った。
2026年10月6日
律令の時代の神祇官と、国による神社のまとめ方
律令の国家は、神のまつりを受け持つ役所として神祇官を置き、祈年祭などで全国の官社に幣帛を配った。ただし実際の統制は、9世紀には弱まっていった。
2026年10月6日
古事記、日本書紀と神社
古事記(712年)と日本書紀(720年)に書かれた神話は、多くの神社の祭神や由緒のよりどころになっている。一方で、八幡神や天神のように記紀の神話に出てこない神の神社も数多い。
2026年10月6日
神社はいつ、どのように始まったのか(沖ノ島の祭祀遺跡から)
古い時代の神まつりは、岩や木に神を招き、終われば片づける形だった。いつも建っている社殿ができたのは7世紀ごろからと考えられる。沖ノ島の遺跡は、まつりの場の移り変わりをよく伝えている。
2026年10月6日
戦後の神社の歩み(神道指令と神社本庁の発足)
昭和20年(1945年)12月の神道指令で、神社は国の管理を離れた。翌年2月、神祇院の廃止の翌日に神社本庁が発足し、神社は民間の宗教法人として歩み始めた。
2026年10月6日
国家神道とは何を指すのか
国家神道は、明治から終戦まで、国が神社を管理し、神社のまつりを国の儀礼として国民に求めた仕組みを指すことが多い。どこまでを含めるかや評価は、研究者の間で議論がある。
2026年10月6日
明治末の神社合祀と、南方熊楠の反対
明治39年(1906年)から、国は小さな神社を合わせて数を減らす神社合祀を進め、約19万社あった神社は大正の初めに約12万社まで減ったとされる。南方熊楠は、森と地域の信仰が失われるとして強く反対した。
2026年10月6日
明治維新と神社(神仏分離と廃仏毀釈)
明治元年(1868年)、新政府は神社から仏教を切り離す布告を出した。各地で寺や仏像を壊す廃仏毀釈が起き、神社は「国家の宗祀」として国に組み込まれていった。
2026年10月6日
神仏習合、本地垂迹説、権現とは
神と仏を結びつけて一緒に信仰したのが神仏習合。仏が本当の姿で、神は仏が人を救うために仮に現れた姿とする本地垂迹説が生まれ、熊野権現や山王権現などの神が信仰された。