No.79 江戸時代の伊勢参り、おかげ参り
江戸時代、人々は伊勢講を作ってお金を積み立て、代表が伊勢に参った。数十年に一度、数百万人が一気に伊勢へ押し寄せる「おかげ参り」も起きた。
本文と出典
江戸時代、伊勢神宮へのお参り(伊勢参り)は、庶民にとって一生に一度はしたいと願う旅でした。
伊勢参りには、毎年続いた参拝と、数十年に一度起きた大きな波(おかげ参り)があります。
【伊勢講と御師】
遠い伊勢まで旅をするのはお金がかかります。
そこで村や町ごとに「伊勢講」という仲間を作り、お金を積み立てて、くじなどで選んだ代表が伊勢に参りました(代参)。
各地をめぐって講を組み、伊勢に来た人の宿や案内を引き受けたのが、伊勢の御師(おんし)です。
御師は、伊勢神宮のお札を各地に配る役も担いました。
【おかげ参り】
数十年に一度、短い期間に大勢の人が伊勢へ押し寄せることがありました。
これを「おかげ参り」といいます。
主人や親に断らずに家を出る「抜け参り」も多く、着の身着のままの人もいました。
道中の人々は、伊勢に向かう旅人に食べ物や宿、お金を施しました(施行)。
大きなおかげ参りとしては、次のようなものが知られています(人数は当時の記録による推計)。
慶安3年(1650年)
宝永2年(1705年):約330〜370万人
明和8年(1771年):約200万人
文政13年(1830年):約430〜500万人
当時の日本の人口は、約3,000万人でした。
【信仰と楽しみ】
伊勢参りは信仰の旅であると同時に、ふだん村を出ることの少ない人々にとって、見知らぬ土地を見る楽しみの旅でもありました。
なお、幕末の慶応3年(1867年)に起きた「ええじゃないか」の騒ぎは、おかげ参りとは別のものです。
【参考にした資料】
『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳)、『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀)、『神社の解剖図鑑』(米澤貴紀)
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