No.78 武士と神社(源氏と八幡、徳川と東照宮)
源氏は八幡神を氏神とし、鎌倉の鶴岡八幡宮を中心に置いた。徳川家康は亡くなったあと東照大権現としてまつられ、東照宮は全国に広がった。
本文と出典
武士が力を持つようになると、戦の勝利を祈り、自分たちの支配が正しいことを示すために、神社との結びつきを深めました。
【源氏と八幡神】
源頼義、義家の親子は、京都の石清水八幡宮の八幡神を深く信仰しました。
義家は石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれました。
康平6年(1063年)、頼義は鎌倉の由比郷に石清水の八幡神を迎えてまつりました。
治承4年(1180年)、源頼朝はこれを今の場所に移し、鎌倉の町の中心に置きました(鶴岡八幡宮)。
こうして八幡神は武士全体の守り神となり、各地の武士が自分の領地に勧請しました。
八幡神社が全国に多いのは、武士の信仰のほか、荘園の守り神としてまつられたことや、神と仏を一緒にまつる信仰の広がりも重なったためと考えられています。
【徳川家康と東照宮】
徳川家康は元和2年(1616年)に亡くなり、翌年、朝廷から「東照大権現」の神号を受けました。
はじめ駿河の久能山に葬られ、その後、日光にまつられました。
神号を「明神」にするか「権現」にするかで、吉田神道の立場をとる人々と、天台宗の僧の天海とのあいだで争いがあり、天海の主張した権現に決まりました。
正保2年(1645年)には「東照宮」の宮号が許されました。
東照宮は大名などによって全国に建てられ、徳川家の権威を示すものになりました。
【神社と武士の関係】
武士にとって神社は、戦の勝利を祈る場であると同時に、自らの支配の正しさを示し、人々をまとめる拠りどころでもありました。
【参考にした資料】
『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳)、『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀)、『神社の系譜』(宮元健次)、『神道と神社の秘密』(歴史研究会)、『図解 神社入門』(渋谷申博)、『神主さんが教えてくれる「おとなの神社旅」』(三浦利規、徳本昌大)
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