No.74 神社はいつ、どのように始まったのか(沖ノ島の祭祀遺跡から)
古い時代の神まつりは、岩や木に神を招き、終われば片づける形だった。いつも建っている社殿ができたのは7世紀ごろからと考えられる。沖ノ島の遺跡は、まつりの場の移り変わりをよく伝えている。
本文と出典
いまの神社には鳥居や社殿がありますが、神をまつる信仰はそれよりずっと前からありました。
社殿のある神社の形が整ってきたのは、7世紀ごろからと考えられています。
【社殿の無い時代のまつり】
古くは、山や大きな岩、大きな木、滝などに神が宿る、あるいは降りてくると考えられていました。
人々はまつりのたびに清らかな場所を選び、岩(磐座)や、榊を立てた場所(神籬)に神を招いて祈りました。
まつりが終わると神は帰り、仮の設けも片づけられました。
どこまで古くさかのぼるかは、研究者の間でも見方が分かれます。
【常設の社殿へ】
6世紀に仏教が伝わり、各地に寺が建てられると、神社でも神がいつも鎮まる社殿を建てるようになったと考えられています。
社殿の形は、米を納める高床の倉や、古い宮殿、豪族の館がもとになったとされます。
【沖ノ島の祭祀遺跡】
福岡県の沖ノ島(宗像大社沖津宮)には、4世紀後半から9世紀末ごろまでのまつりの跡が残っています。
まつりの場所は、岩の上、岩の陰、半分岩陰で半分屋外、そして屋外の平らな場所へと移っていきました。
社殿の無い時代のまつりが、少しずつ形を変えていく様子が分かる、貴重な遺跡です。
沖ノ島は、朝鮮半島と九州を結ぶ海の道の途中にあります。
国の使いが航海の安全を祈ったと考えられ、鏡や勾玉、金の指輪、ペルシャ(ササン朝)のガラスの碗の破片など、約8万点の奉納品が見つかり、一括して国宝に指定されています。
これらは昭和29年(1954年)から46年(1971年)にかけての3回の発掘調査で見つかりました。
【いまの沖ノ島】
沖ノ島は島全体が御神体とされ、古くから女性は上陸できず、男性も上陸前に海で身を清める決まりがありました。
平成29年(2017年)に世界遺産に登録され、翌年からは一般の人の上陸は全面的に禁じられています。
【参考にした資料】
『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀)、『総図解 日本の神社』(渋谷申博)、『神社の解剖図鑑』(米澤貴紀)、『神道と神社の秘密』(歴史研究会)、『図解 神社入門』(渋谷申博)、『神主さんが教えてくれる「おとなの神社旅」』(三浦利規、徳本昌大)
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