No.70 明治維新と神社(神仏分離と廃仏毀釈)
明治元年(1868年)、新政府は神社から仏教を切り離す布告を出した。各地で寺や仏像を壊す廃仏毀釈が起き、神社は「国家の宗祀」として国に組み込まれていった。
本文と出典
明治維新は、千年以上続いてきた神と仏を一緒にまつる形を大きく変え、神社を国の仕組みの中に組み込んでいく転機になりました。
【神仏分離】
明治元年(1868年)、新政府は「王政復古」と、まつりと政治を一つにする「祭政一致」を掲げ、神社と仏教を分ける一連の布告を出しました。
まとめて神仏分離令(神仏判然令)と呼ばれます。
神社に仕えていた僧侶(別当、社僧)をやめさせる、仏像を御神体にすることを禁じる、「権現」「大菩薩」などの仏教のことばを神の名前に使わない、などの内容です。
京都の祇園社が八坂神社と名前を改め、祭神を牛頭天王から素戔嗚尊にしたのも、このときです。
【廃仏毀釈】
布告は寺を壊せと命じたものではありませんでしたが、各地で寺や仏像、お経を壊したり焼いたりする動き(廃仏毀釈)が起きました。
薩摩藩や松本藩、隠岐などでは特に激しく、奈良の興福寺も一時は荒れ果てました。
多くの文化財がこのとき失われ、海外に流れ出たものもあります。
【国がまつる神社へ】
明治4年(1871年)、神社は「国家の宗祀」、つまり国がまつるものと定められ、官幣社、国幣社などの社格が決められました。
神社を受け持つ役所は、神祇官(明治元年に再び置かれる)、神祇省(明治4年)、教部省(明治5年)、内務省社寺局(明治10年)、神社局(明治33年)、神祇院(昭和15年)と移り変わりました。
明治15年(1882年)には神官と、教えを説く教導職とが分けられ、神社は宗教とは別のものとして扱われるようになりました。
【新しい神社】
明治2年(1869年)、戊辰戦争などで亡くなった人をまつる東京招魂社(のちの靖国神社)が建てられました。
明治23年(1890年)には、神武天皇をまつる橿原神宮が建てられています。
明治天皇は明治2年に、天皇として初めて伊勢神宮に参拝したとされます。
【参考にした資料】
『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀)、『神社で柏手を打つな』(島田裕巳)、『総図解 日本の神社』(渋谷申博)、『神道と神社の秘密』(歴史研究会)、『神社の解剖図鑑』(米澤貴紀)、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳)、『神社本庁とは何か』(小川寛大)、『靖国神社』
情報・意見(0件)
情報や意見を書くにはログインが要ります(読むだけならログインは要りません)。