No.69 神仏習合、本地垂迹説、権現とは
神と仏を結びつけて一緒に信仰したのが神仏習合。仏が本当の姿で、神は仏が人を救うために仮に現れた姿とする本地垂迹説が生まれ、熊野権現や山王権現などの神が信仰された。
本文と出典
神仏習合(しんぶつしゅうごう)は、日本の神々への信仰と、外から来た仏教とが結びつき、一緒に信仰された形です。
明治の初めまで、千年以上にわたって続きました。
【神仏習合の広がり】
奈良時代には、神社の中に寺(神宮寺)が建てられるようになりました。
天応元年(781年)には、八幡神に「大菩薩」の号が贈られています。
平安時代から鎌倉時代にかけて、神社で僧侶がお経を読んだり、寺の境内に守りの神をまつる社(鎮守社)を建てたりすることが当たり前になりました。
【本地垂迹説】
神仏習合の考えをまとめたのが本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)です。
仏や菩薩が本当の姿(本地)で、日本の神は、仏が人々を救うために仮に神の姿で現れたもの(垂迹)とする考えです。
「権現(ごんげん)」の「権」は「仮の」という意味で、権現は仏が仮に神として現れた姿を指します。
【権現と本地仏の例】
本地仏は神社や時代によって違いますが、よく知られた例を挙げます。
熊野権現:本宮は阿弥陀如来、新宮(速玉)は薬師如来、那智は千手観音。
天照大御神:大日如来とされることが多く、観音とする例もあります。
八幡神:阿弥陀如来とされることが多くあります。
天神(菅原道真):十一面観音。
このほか、比叡山を守る日吉大社の山王権現、修験道の蔵王権現、祇園社の牛頭天王なども、神仏習合の中で信仰された神です。
【神が本体とする考えも】
鎌倉時代以降は、逆に神が本当の姿で、仏が仮の姿だとする考え(反本地垂迹説)も現れました。
伊勢神道や、室町時代の吉田神道がその例です。
【明治の神仏分離】
明治元年(1868年)の神仏分離で、権現などの呼び名は改められ、神社と寺は分けられました。
【参考にした資料】
『神社で柏手を打つな』(島田裕巳)、『総図解 日本の神社』(渋谷申博)、『神社の解剖図鑑』(米澤貴紀)、『図解 神社入門』(渋谷申博)、『神道と神社の秘密』(歴史研究会)、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳)、『神社に秘められた日本史の謎』(新谷尚紀)、『神社の系譜』(宮元健次)
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